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東京高等裁判所 平成4年(う)650号 判決 1992年10月28日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

右猶予期間中被告人を保護観察に付する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小林勝男が提出した控訴趣意書及び同補充書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらをここに引用する。

(控訴趣意第一点について)

論旨は、被告人は、原判示スーパー比富美店内において、買物かごに商品三五点を入れ、レジを通過しないで店内のサッカー台の上に右かごを置いた上、商品をかごの中から取り出してビニール袋に入れようとした際に、男子店員に取り押さえられたのであるが、右時点においては、商品の占有は未だ商店主にあったと認められ、窃盗は未遂に止まるというべきであるから、原判決が、右商品三五点に関する窃盗既遂罪の成立を認めたのは、事実を誤認し、法令の適用を誤ったものである、というのである。

しかし、原判決挙示の証拠によると、被告人は、原判示スーパー比富美店内において、買物かごに入れた商品三五点をレジで代金を支払うことなく持ち帰って窃取しようと考え、店員の監視の隙を見て、レジの脇のパン棚の脇から、右買物かごをレジの外側に持ち出し、これをカウンター(サッカー台)の上に置いて、同店備付けのビニール袋に商品を移そうとしたところを、店員に取り押えられたものと認められる。

そして、以上の事実関係の下においては、被告人がレジで代金を支払わずに、その外側に商品を持ち出した時点で、商品の占有は被告人に帰属し、窃盗は既遂に達すると解すべきである。なぜなら、右のように、買物かごに商品を入れた犯人がレジを通過することなくその外側に出たときは、代金を支払ってレジの外側へ出た一般の買物客と外観上区別がつかなくなり、犯人が最終的に商品を取得する蓋然性が飛躍的に増大すると考えられるからである。

所論は、これと異なり、窃盗既遂罪の成立には、犯人が買物かご内の商品を別の袋に移転することを必要とする旨主張するが、右見解は採用することができない。

原判決には所論の事実誤認又は法令適用の誤りはなく、論旨は、理由がない。

(控訴趣意第二点について)

論旨は、本件犯行当時被告人は、心因反応により朦朧となり、いらいらした心迫状態から現実検討能力が欠如し、心神耗弱の状態にあったと認められるので、被告人の責任能力の軽減を認めなかった原判決は、事実を誤認し、法令の適用を誤ったものである、というのである。

そこで、検討するのに、原審記録及び当審における事実取調べの結果によれば、被告人は、当時四八歳の家庭の主婦であるが、昭和六〇年ころ、日大病院及び国立埼玉病院の各精神科で治療を受け、同六一年七月末から約一月半、医療法人社団碧水会長谷川病院に、「人格障害及心因反応」の病名で入院して治療を受けたことがあること、本件犯行後である平成四年三月三一日以降、医療法人梨香会秋元病院に通院して治療を受けており、同病院ではうつ病と診断されていること、日常生活においても、料理の味つけを忘れたり、家族と同じ物を食べると戻したりするので、一人でパンの耳や麺類を食べたり、家族とのだんらんに加わらず、テレビもうるさいからといって見ないなど、やや異常な行動が見られたことが認められる。

しかし他方、被告人は、本件犯行時には病院に通って治療を受けているという状態ではなく、日常生活の上でも編み物、油絵、生花等の趣味を持ち、編み物は近所の人に頼まれてすることもあったことが認められ、被告人の夫Aは、原審公判廷において証言した際、弁護人及び検察官の質問に対し、いずれも、被告人が日常生活の中で様子がおかしいところは特になかった旨供述している状況である。また、本件犯行時及びその直後の被告人の言動を見ても、被告人は、自己の所持金を越える商品を買物かごに入れて、犯行を決意した後、パン棚の脇でレジの方を見て約五分間様子を窺い、自己がレジ係に気付かれていないのを確認した上で同所を通過していること、男子店員に「レジを通過していないじゃあないですか。」と声をかけられた際には、直ちに、「すみません。」と謝り、その後、同店員に事務室への同行を求められた際には、突然逃げ出して捕捉されたこと等の事実が認められる。

以上によると、本件犯行当時、被告人は、心因反応等のため不安定な精神状態にあったことが窺われるが、所論のように意識朦朧の状態にあったとか、現実検討能力を著しく欠いていたとは認められない。

そうすると、被告人が右のような状態にあったことを前提として責任能力の軽減を主張する所論は、これを採用することができない。原判決には、所論の事実誤認又は法令適用の誤りはなく、論旨は、理由がない。

(控訴趣意中量刑不当の主張について)

論旨は、原判決の量刑不当を主張し、本件については刑の執行を猶予されたい、というのである。

そこで、検討するのに、本件は、前記のとおり、当時四八歳の主婦である被告人が、スーパー店内で、時価合計六七〇〇円相当の商品を窃取したという事案であるところ、被告人は、昭和五四年以来、しばしば窃盗を繰り返し、昭和六〇年七月には窃盗罪(すり)により懲役一年・三年間刑の執行猶予の裁判を受け、昭和六一年七月には右猶予期間中に犯した窃盗(すり)の罪により、再度刑の執行を猶予されるという恩典に浴しながら(懲役一年・四年間執行猶予・保護観察)、その猶予期間中である昭和六二年四月またも窃盗(万引)を犯して起訴猶予処分に付され、更に猶予期間満了後一年数か月を経過した時点で、本件犯行に及んだものである。被告人は、本件以外にも余罪一件を自白している上、スーパー比富美の店員に本件を現認された経緯等に照らすと、他にも何件かの同種犯行を繰り返している疑いもないではない。また、被告人には、会社員の夫と既に成人して稼働中の子供二人がおり、家庭の経済状態も悪くはなく、窃盗を重ねなければ、生活に困るような事情は全くなかったものである。このように考えると、本件における被告人の刑責には、軽からざるものがあるといわなければならない。そうすると、本件の被害額が比較的軽微であり、被害品は直ちに被害者の手に戻って、実害を生じていないこと、前刑の執行猶予期間が満了していること等の事情があるからといって、本件はたやすく刑の執行を猶予されるべき事案ではなく、この際、被告人に対し懲役の実刑をもって臨み、厳しくその反省を促した原判決の量刑は、十分理解し得るところである。

しかしながら、被告人が、経済的に困窮しているわけでもないのに、このように窃盗を繰り返してきたのについては、前記のようなやや異常な精神状態が関係していると考えられる。被告人は、昭和四六年に長女を出産して間もなく、難聴に陥り、以後これが原因で精神状態が不安定になったと認められるが、前記一連の窃盗罪の前科前歴は、全てそれ以降のものであって、それ以前に、被告人に犯罪的傾向があったという形跡は、記録上全く窺われない。

また、被告人が、前刑、前前刑の判決を受けた時期には、被告人の夫は、青森県へ単身赴任中であったものと認められ、このことが不安定な精神状態にあった被告人を犯行に走らせる重要な要因となったのではないかとも推測される。現に、被告人は、夫が単身赴任を終えて家庭に戻った後は、ともかくも再犯に至ることなく、執行猶予期間の満了を迎え、その後の一年数か月も無事過しているのである。

それだけに、被告人が今回再び本件を犯すに至ったことは、まことに遺憾であるが、以上のような本件犯行の原因、被告人の経歴等に徴すると、被告人の今後の更生を図るためには、被告人を家族の温かくかつ厳しい保護・監督の下に置いて、医師による適切な治療を受けさせ、その精神状態の安定を図りつつ、再び罪を犯さないとの決意と自覚を高めさせていくことが最も望ましいと考えられる。

そして、証拠によると、被告人は、原審公判の途中から再び精神科医師の治療を受けるようになり、その精神状態は以前に比べ改善されつつあること、被告人の夫は、単身赴任で家庭生活がおろそかになったことを深く反省し、本件後は二人の子供とともに努めて明るく振る舞うことで被告人の気持を引き立てる一方、買物は被告人にさせないようにするなど、家族一丸となって被告人のために配慮しており、今後もその更生に尽力する決意であること、被告人が服役することになれば、会社員の夫はもとより、未だ結婚前の長男、長女の将来にも悪影響を及ぼすおそれがあること、被告人自身も、これらの諸点を自覚し、今後は医師の指示に従って治療を継続し、犯行を誘発するような公の場所には、できる限り出入りしない決意を固めていること等の事実が認められる。

以上の情状のほか、幸い本件犯行の被害が比較的軽微なものに止まり、かつ、被害が速やかに回復されたこと等の事情を併せ考えると、被告人に対しては、今一度だけ長期間刑の執行を猶予し、保護観察実施機関の協力も得て、社会にあって更生への途を歩ませるのが相当であると認められる。

そうすると、原判決の量刑は、結局、その刑の執行を猶予しなかった点で重過ぎて不当であると認められる。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書により、当裁判所において、更に自ら判決する。

原判決が認定した事実に、原判決が適用した法令を適用し、所定刑期の範囲内で被告人を懲役一〇月に処し、前記情状により、刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から、四年間右刑の執行を猶予し、同法二五条の二第一項前段により、右猶予期間中被告人を保護観察に付し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉丸眞 裁判官木谷明 裁判官平弘行)

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